片・すぐお腹痛くなる。

まだ生きていたのか?!

私の好きな平成~お洋服篇~

 平成が、流行っているのです。それはたんに、平成に子供時代を過ごした私のような人間が、今や昔を懐かしむ年齢に達したというだけのことと思うのです。私たちは当時自分が憧れていたもの、好きだったものがほしいだけで、キャラクターだけをとってつけたコラボ商品は望んでおらず、叶うならば当時売っていた商品を完全復刻してほしいと願っているのです。その望みが叶うべくもないので、私のような懐古ものたちはリサショやメルカリを巡回して平成グッズを漁っているのです。とはいえ私は専ら地元のリサショと古着屋さんだけを巡っていて、割高なメルカリには手を出していないのです。
 今日はそうして私がせっせと集めた平成グッズの中から、お洋服だけを集めてみなさんに自慢するのです。

 まずはLOVERS HOUSEのお洋服なのです。なぜかLOVERS HOUSEは地元のリサショにたくさん出回っているので、たくさん入手することができるのです。

 左上から時計回りに、Tシャツ、長袖パーカー、長袖パーカー、バッグ、プリーツスカート、ロンT、ジップアップスウェット、そして真ん中が長袖スウェットなのです。スカートのステッチに使われている糸が虹色のグラデーションだったり、ジップアップにメリーのチャームがついてたり、ディティールがかわいいのです。

 続いてDAISY LOVERSANGEL BLUE、BETTY'S BLUEのお洋服なのです。

上から時計回りに、Daisy Loversのスウェット、ANGEL BLUEのロンT、BETTY'S BLUEのニットベスト、BETTY'S BLUEのロンT、ANGEL BLUEのスウェット、ANGEL BLUE SUPER LABELのスウェットなのです。

 これまたディティールがかわゆいのです。

 そのほかの平成を感じるお洋服なのです。

 左上から時計回りに、muchachaのジャージ、GLOOMYのロンT、HYSTERIC GLAMOURのロンT(これは私が小学生のときに実際に着ていたものの柄違いで、誕生日プレゼントでいただいたのです)、HYSTERIC GLAMOURのメッシュロンT、COCOLULUの半袖シャツ、ニッセンの子供用のキャミソールなのです。

 どれもこれも全部可愛くて、お気に入りなのです。平成っぽいお洋服を集めるようになってから、タンスの中がカラフルで開けるたびに気分が上がるのです。もちろん全部着るために買ったもので、実際に何度も着ているのです。私は今年で無事に三十路を迎える者ですが、お休みの日はいつも子供服などのかわいいお洋服を着ているのです。

 ここからは実際に私が平成時代にどんな服を着ていたかをお話しするのです。長いから畳むのです。好き者だけ読むがよいのです。

 

 

 小さな子供の頃は、専ら従姉からのおさがりと母親の選んだ服を着ていたのです。今でも覚えているのは、ショッキングピンクの上下揃いのセーラームーンのジャージをとても嫌々着ていたことです。セーラームーンは確かに好きでしたが、セーラームーンをリアルタイムで見ていたのは4つ上の従姉で、私が当時見ていたのはカードキャプターさくらだったのだし、そのジャージはなんとも形容しがたい暗く重く濃ゆいショッキングピンク一色で、従姉が気に入って何度も着たせいで膝がテカテカ光っていて、おまけにズボンの裾がぎゅっとすぼまっていて、当時の私に言わせてもらえばすごくダサいジャージだったのです。そのジャージの他には、ピンクハウスのトレーナーをよく着せてもらっていたのを覚えているのです。でもやはり当時の私にとってそれはワッペンのたくさんついたおばさんくさいトレーナーでした。トレーナーという服そのものを嫌っていたのです。逆に、着せてもらって嬉しかったのは、星柄のキャミソールや、裾にかぎ針編みのモチーフがついているピンク色のフェルトのスカートや、デニム地に白い星がプリントされたキュロットスカートや、ラメ入りのかわいいプリントのついた白い半そでカットソー、ハイビスカスの刺繍がついた厚底サンダルなどでした。
 私は2000年に小学校へ上がりました。2000年代は、子供服の黄金期だったのです。ANGEL BLUEmezzo pianoDAISY LOVERSLOVERS HOUSE、BETTY'S BLUE、かわいい有名ブランドは数あれど、私のような田舎の小学生には全く手の出ない品なのです。覚えているのは、同級生の歯医者の娘がANGEL BLUEの洋服を着ていたことと、従姉がSUPER LOVERSの洋服を着ていたことです。そのSUPER LOVERSの洋服がおさがりで回ってこないかと期待したのですが、その頃にはもう従姉からおさがりを貰うことはほとんどなくなっていたのです。だから私が実際に着ていたのは、通販カタログで選ばせてもらった服だったり、スーパーセンターの子供服売り場で買ってもらった服でした。私が選ぶのはいつもトリコロールカラーの服で、さらに星柄の服を好んで着ました。当時はアメリカンブームで、星条旗を模したデザインがとても流行っていたのです。インテリアもアメリカン・カントリーが大流行りで、私の家もハートの刳り抜きのある木の棚や、トールペイントの飾り、素朴なパッチワーク風の生地で縫われたクッションカバーなんかで埋め尽くされていました。私もアメリカ風のデザインは大好きで、もっと派手なアメリカンダイナー風のデザインを特に好み、洋服に関しても、赤・青・白の配色に星のモチーフがあれば、私はそこに星条旗を想起して喜んで着ました。
 その後、小学4年からHana*chu→、小学5年からZipper、CUTiE、FRUiTSを購読するようになり、私のファッションへの自我は爆発するのです。その頃からリサイクルショップや古着屋で洋服を安く買うことを覚えました。気に入ってよく着ていたのは、スポンジボブのおおきな顔が全面にプリントされたTシャツ、ショッキングピンクのミニスカート、緑地に白いドット柄のタートルネックカットソー、ショッキングピンクのカーディガン、ピンクのトレンチコート、ヒョウ柄のミニスカート、セックス・ピストルズのTシャツなどです。小学6年生のときに、中学校の授業を見学する機会があったのですが、私はそこへ黒とピンクの太いボーダーのオフタートルニットと、黄色のチェック柄の、プリーツ部分がファスナーになっているミニスカートと、黒と紫のボーダーのニーハイソックスという挑発的な格好で行きました。そして後にあの派手な奴は誰だと中学生の間で話題になっていたことを知るのです。その頃の変遷をざっくりまとめると、古着派手仔期→ピンクフリーク期→パンクス期という感じなのです。派手仔期は言わずもがなZipperとFRUiTSの影響です。インターネットで派手仔さんたちのホームページを見つけてはお気に入りに登録して毎日巡回していたのです。ぱっつん前髪にパーマと逆毛でふくらませたロングヘアが憧れでした。お部屋にはトロール人形やカラフルなおもちゃや、大量のPEZを飾っていました。ピンクフリークになったのはキューティ・ブロンドミーン・ガールズの影響なのです。プリンセスのようなパステルピンクよりは、とにかくショッキングピンクで派手!にするのが私流でした。でもお部屋はプリンセスモード全開で、クレアーズで買ったピンクの羽根つきペンやおもちゃのティアラや、ピンクのドレスを着たバービー人形、陶器でできた薔薇模様の小物入れなんかを机に飾っていたのです。パンクスになったのはNANAとフリーキー・フライデーとsex pistolsの影響でした。インテリアは黒と白と赤だけでまとめて、フラッグチェックのコレクションテーブルと同柄のベッドカバーと、赤いスツールとカーテンと、大きなピンクパンサーのぬいぐるみをメインに、ヴィレッジ・ヴァンガードで買ったsex pistolsのポストカードや、イギリス国旗がプリントされたバンダナ、インターネットで拾って印刷したsex pistolsの写真なんかを部屋にベタベタ貼っていたのです。こうして書き出してみて思うのは、私にとって(多分多くの人にとっても)ファッションとインテリアは密接に結びついているのだなあ、ということなのです。実際、当時ファション誌ではインテリアによくページが割かれていて、好きなものや色で統一された部屋や、コレクションで埋め尽くされた部屋がよく紹介されていたのです。雑誌の別冊としてインテリアのムックもよく発売されていました。当時のインテリアの定番アイテムはウォールポケット、スツール、天板の中央にガラスがはまったコレクションテーブル、天蓋付きベッド、キラキラのビーズのれん、洋服を飾るハンガー型のトルソー、なんかではないでしょうか。当時の私は自分を着飾ることよりもむしろ部屋を飾ることに執心していたように思うのです。数日ごとに並べ替えて、好きなものが変わるたびに細々した飾りや雑貨を総とっかえしていました。だいたい2007年頃まではそんな感じでした。
 私が平成として認識しているのはそこまでで、それ以降は今と地続きのつまらない、空疎な時代なのです。流行っているものが何一つ好きではなかったし、実際その時代に流行っていたものを思い出そうと試みても何も思い浮かばないのです。自分自身は、解散したバンドの音楽ばかりを聴いて、もう死んだ人間の書いた本ばかりを読んでいました。ファッションやインテリアも、ミョ~な具合で、ロマンチックヨーロピアン志向になったり、パリジェンヌ風を装ったり、80年代の男の子風になったり、西海岸風の肌見せファッションになったり、スケーター風のダボいファッションになったりと、後から思い返して懐かしくなる日が来るのかよくわからないような迷走を繰り返していたのです。そして2019年、70年代の音楽と出会ったことで、やっと自分が好きだと思えるファッションに全振りすることができるようになりました。そしてその頃には、時代は既に令和にかわっていたのです。