前回「パンダゴンを洗う」(https://katata-taki.hatenadiary.com/entry/2026/04/19/160506)でしれっと登場した息子なのですが、おかげさまで無事産まれております。現在生後5ヶ月。まだはいはいやずり這いはできないけれど、腹這いになって手足をぱたぱた動かすのが大好きです。
実は息子は分娩時にお腹の中でかなり苦しんだらしく、早く出してやるために緊急帝王切開になりました。そのせいか産まれてすぐに無呼吸発作で保育器に入り、保育器を出てからも発作がちらほら出てしまうので、やっと退院できたのはもうすぐ生後1ヶ月になろうかという頃でした。私の方は術後貧血で輸血を受けたり、ガスがなかなか出なくてベッドから自力で起き上がれなかったりで、下からおしっこバッグ、腕には点滴をつけて車椅子に乗せられながら保育器の中の息子に会いに行くような有様だったのですが、毎日たっぷりの病院食を食べていたおかげで少しずつ回復し、病院に息子を残し先に退院することになったのです。
多分産後一番辛かったのが、この自分が退院して息子が入院している間の約二週間だったと思うのです。毎日搾母乳を病院へ届けるために夜中も三時間毎に起きて搾乳し、搾乳器を洗って消毒し、寝不足でぼろぼろになりながら家事もして、唯一の楽しみは一日一回ないしは二回、病院へ行って入院している息子の沐浴と授乳をすること。夫に期待していたような産褥期のサポートは得られず、とにかく家にいると孤独で、毎日泣いてばかりいたのです。見かねた母や妹が、病院の送迎を買って出てくれて、帰りにショッピングセンターに寄り道したりと気分転換の機会をくれたのがとてもありがたかったのです。そんな状態だったので、いよいよ息子が退院できるはこびとなり、私も付き添いという形で二泊三日の母子同室入院をし、さあこれから毎日一日中息子と一緒にいられるんだと思うと本当に嬉しかったものです。
産後に二番目に辛かったのが、母子揃って退院してからの乳頭痛でした。私の乳首は赤ちゃんには咥えにくい形だったようで、退院してからも乳頭保護器がなかなか外せなかったのです。息子の口もまだ小さいので浅いところを強く吸われて、乳首に血豆やささくれがいくつもできて、泣きながら授乳を断念してミルクを作ったり搾乳をしたりしていました。そんな私を見て夫は何度もミルクに切り替えたら?と言ってくれたのですが、なんなのでしょうね、あのどんなに辛くとも母乳をあげたいという欲求は。いつの間にやら息子は大きな口でぱくっと上手に咥えられるようになり、たまに夫に息子を任せて外出するとき以外はミルクをあげることもなくなりました。
そんなこんなで今に至り、目下の悩みは離乳食をいつ始めるか、夜間授乳が減らない、できるだけ長く自宅保育したいけどお金がもたない、の三本立て。自宅で家事育児しながら月にさんまんえん稼ぐ手立ては何かないものかと、メルカリで売れそうな物を探して家中引っ掻き回したり、アフィリエイトの始め方をじぇみにに訊いたり、クラウドワークスを覗き見したりと悪あがきをしているのです。そんな暇があれば息子にかまってやりたいのです。
パンダゴンを洗う
ぬいぐるみを買ってもらった記憶は少なくて、私が一番よく覚えているのは母が誰の誕生日でもクリスマスでもない日にきょうだい全員に色違いでひとつずつ買ってくれた耳の垂れた犬のぬいぐるみなのです。母はラッピングされたぬいぐるみをなぜか車の中で私たちに渡しました。首輪を付け替えたり、お腹が破れたのを繕ったりしながら成人してからもずっと手元に置いていたそれは、私が処分しようとしたところを母親に救出され、それ以来母の所有物となったのでした。
自分で自由になるお金が持てるようになってからは、私はよくぬいぐるみを買いました。飼っていた黒うさぎによく似たうさぎのぬいぐるみ、ペンギンのぬいぐるみ、やけにリアルなオオカミのパペット、Tyのカラフルなぬいぐるみ。それらのほとんどは、結婚で家を出たときに処分してしまいました。
パンダゴンは、確か私が小学校低学年かそのくらいのころ、とても風の強い日に、フリーマーケットに連れてこられて、そこで母親が買ってくれたパンダのぬいぐるみなのです。私がそのパンダにパンダゴンという名前をつけたのは中学生の時分で、ちょうどその頃に、近所のよく行っていたリサイクルショップで、パンダゴンと同じだけれどパンダゴンにはないイチゴ柄のスタイを首に巻いたパンダのぬいぐるみを手に入れて、そちらにはパンダゴン・ノ・カノジョという名前をつけたのでした。パンダゴン・ノ・カノジョは、パンダゴンの彼女という属性ではなく、パンダゴン・ノ・カノジョという名前なのです。ジョン・ル・カレみたいな感じです。パンダゴンとパンダゴン・ノ・カノジョはそのとぼけたルックスから私の気に入り、インテリアのアクセントとして長く部屋に置かれ、結婚の家移りにもちゃっかり付いてきて、今は私の書棚の前にそれぞれ鎮座しているのです。
そこにパンダゴンがいることに初めに気づいたのは私の息子だったのです。私はパンダゴンをベッドの脇の書棚の前に置いていて、確かに自分で置いたのだけれど、そんなのは風景の一部だから気にも留めない目にも入らない。だから隣に寝そべっている息子がじーっと見つめる視線の先を辿って初めて、そこにパンダゴンがいることに気づきました。私は試しにパンダゴンを息子の目の前に持ってきてみました。息子は手を胸の前で組み合わせて寄り目勝ちにパンダゴンを見つめると、パンダゴンのぷらぷらした黒い腕に手を伸ばしたのです。ほう、この子はもうぬいぐるみに興味を持つ。でもばっちいから触らないでね、と取り上げ、息子にはオレンジ色のキツネのぬいぐるみを買ってやることにして、そういえば家に迎えてから一度も洗った覚えのないパンダゴンとパンダゴン・ノ・カノジョを、この機に洗ってやろうか、と思ったのです。
たらいに水を張って、パンダゴンたちを沈めます。洗剤を入れて押し洗いしていると、パンダゴンの中から実家の猫にゃーちゃんのヒゲが出てきました。洗い上がったパンダゴンたちは以前より心なしか白くなったような気がするのです。洗いはしたけど、やっぱりばっちい気がするんで、とパンダゴンたちが息子に与えられることはなく、結局元いた場所に戻され、私は彼らを見るたびに、やっぱり少し白くなったよな、と思うのです。

日記48
お風呂に浸かると気持ち悪いのです。妊娠前は毎晩風呂場に防水スピーカーを持ち込んで音楽をかけながら一時間もかけて入浴していた私が、ここ数週間はほとんど毎朝のシャワーだけで済ませているのです。そも食事をとると気分が悪くなるので必ず食後ソファに横になる時間が必要になってしまい、しかも横になったところで何時間経っても気分は良くならないのでお風呂に湯も溜められず、起き上がれず、横になったままなんとかメイクを落として、やっつけで歯を磨いて、寝巻きに着替えてベットに移動できたら万々歳。最悪ソファで就寝なのです。無理してお風呂に入ったとて湯船に浸かると気分の悪さがぶり返すので、もう諦めているのです。はやくゆっくりお風呂に浸かれるようになりたいものです。
年々独り言に拍車のかかる私なのですが、ついに先日洋服屋でズボンの品定めをしている時分に、あまりに変な色しか残っていなかったので「こんな変な色しかないの? 一体何と合わせればいいのこんな変な色?」とぼやいていたところ、たまたま近くにいた見知らぬおばさまに「ぷ」と笑われてしまったのです。その話を夫なる人にしたところ、傍から見たら変な人ゆえ二人でいるときならいいけれど一人の時は独り言をやめてくれろと言われたのです。そんなことを言われても、一人の時に出るから独り言なのであって、二人のときに何か言えばそれは単にお喋りなのです。そういえばお腹の子供の聴覚が発達してくるのはいつからだろうと調べてみると、だいたい五ヶ月頃から徐々に聞こえるようになっていくらしいので、夫なる人には申し訳ないのですが、今後は胎児に話しかけているという体で独り言は続けていこうと思うのです。
日記47
油断するとあっちゅうまに半年日記を書かない私なのです。
ブランク期間に何があったか思い出すために前回の日記46を読み返してみたのです。当時の私は今や元恋人となった人のことで心を痛めていました。その後どうなったかと言うと、別れる別れないのすったもんだがありながらもなんとか別れ、晴れて自由の身になってすぐに別の人とお付き合いを始めたのです。その人とこの度結婚することになったのです。まだ身内と職場のごく少数の人たちにしか報告していないので、公にするのはこれが初めて。なんで結婚するかというと、妊娠したのです。これも公にするのは初めて。
子供を産むのが嫌で男と別れた私が妊娠して、しかも産むつもりでいるというのは実に摩訶不思議な話であります。今でも出産という経験はしたくない、というのが正直な気持ちではあるのですが、産みたくないというのは、だから妊娠しないようにしましょうねという段の話であって、できてしまったものを堕ろしましょうという話ではないと思ったのです。なにより、妊娠検査薬の結果を見せたときのパートナーの驚きと喜びが混じった表情を見たときに、自分の中に産まない選択肢がないことに気づいたのです。
今はいわゆる悪阻の時期なのです。多分ひとより軽いほうで済んではいるのですが、軽いとはいえそれなりに辛いのです。先週は牛乳だのヨーグルトだのバターだの、とにかく乳製品しか体が受け付けず、お米が食べられないのでパンとパスタばっかり食っていたのです。今は米がべらぼうに高いので家計的には嬉しい誤算。レトルトカレーなら米も食べられるけれど、一度に食べられる量が減ったので、一食分を昼と晩に分けて食べるのです。納豆だの豆腐だの大豆由来のもの、トマト以外のあらゆる野菜、和食全般は全く受け付けなくなりました。スーパーで、食べられそうだと思って野菜を買い込んでは腐らせる毎日。連日フードロスが発生しているのです。私は冷蔵庫の小松菜をどうすればいいのでしょう。
パートナーとはまだ籍も入れていない、同居もしていないので、お互い身の回りの物を整理して私が向こうの家へ移り住むことが急務なのですが、何せ悪阻中で常に眠い、すぐに疲れる、重いものは持てないっつーんで全然思うように進まないのです。何より私はめちゃくちゃな物持ちで、大量の本と雑誌とレコードとツェーデーをどうしたものか頭を悩ませているのです。それでいて多趣味が過ぎるせいで溜まっていく布やら毛糸やらビーズやらのハンクラ素材、サンリオグッズ、シールやメモ帳なんかの紙モノ、リサショでちまちま集めた平成グッズ、気に入っている食器類、そいで大量の洋服。先般、不要な本とセクゾのグッズは箱にまとめてそれぞれブックオフとジャニーズグッズ買取専門店に持ち込んだのです。ブックオフは三千円弱とがんばってくれたのですが、セクゾグッズはなんと120円。まあ処分するにもお金がかかるし、プラスになっただけ良いのです。今後のために不用品は少しでもお金にかえたいのですが、メルカリでちまちま売るのは億劫だし、いっそ家の前でヤードセールでも開きたいものです。
一人ヘタ手芸部の活動 〜ポーチを編む日々〜
活動記録を上げていない間も私はなんやかやと物を作り続けているのです。世は空前の編み物ブーム。触発されるわけではないのですが、ミシンが壊れて縫い物ができないので、私も自ずと編み物ブームなのです。私はもっぱらピンタレストというサービスで自分の作りたいもののアイデアを探すのですが、今回とくに私の目に留まったのがチューリップモチーフと巾着袋でした。三つほど作ったのでご紹介します。


まずはチューリップモチーフのかぎ針ケースなのです。シンプルなフラップポーチで、小さなボタンと縁編みのループでフラップを留められるようにしました。かぎ針6本と糸切りバサミとマーカーを収納しているのです。チューリップを玉編みで編むかパプコーン編みで編むかぎりぎりまで迷ったのですが、ぽこぽこした感じを出したかったのでパプコーン編みを採用したのです。表面をフラットに仕上げたい人には玉編みをおすすめするのです。
そういえば先日、パプコーン編みでひとつ発見があったのです。今回のポーチでは日本の手芸本で一般的に紹介されている、一度針から糸を外し頭の目に針を入れて外した糸を再度かけて引き抜く方法を採用したのですが、ピンタレストで、糸を外さずに編み地を裏返して頭の目に針を入れて糸をかけて引き抜くという方法を見つけたのです。この方法を使うとパプコーン編みがかなり楽になるので、今後はこの編み方を採用しようと思うのです。


お次にこちらもチューリップモチーフで、巾着袋を作ったのです。色合いがシックでかわいいですね。


こちらはインスタで見つけたフリーパターンを見ながら作ったのです。はてなブログにインスタグラムの投稿を埋め込むことができなくなったようなので残念ながら直接紹介できないのですが、@cl0udychesという方のパターンなので、是非ともインスタグラムで検索してみなさんも作ってみてほしいのです。パプコーン編みを編んでから引き抜き編みをするとホイップクリームを絞ったようなかわいい模様になるという発見を与えてくれたパターンでした。私はこの巾着袋に小さな鏡やリップクリームを入れて持ち歩いているのです。
この他にも自分用のボンネットやブライスちゃん用のボンネット&ケープを作っているのですが、そちらの紹介はまた後日、なのです。
日記46
ものすごくご無沙汰なのです。丸七ヶ月ぶりの日記なのです。まあ半年ちょい。怒涛の半年ちょいでした。夏は好きな人の帰省に合わせて相手の地元へ赴き、相手の実家に泊まりました。何年振りかに地元の花火大会へ行きました。秋にさんじういっさいになりました。好きな人のところへ会いに行ったり、高校の時にやったはずの簿記を思い出したいという一心で始めた勉強の成果を確かめるために日商簿記三級を受験して、無事合格したりしていました。そして今冬、勃発した私の家族の問題が私と好きな人の関係にまで波及し、そこに端を発した将来設計の不一致から、もうだめかも知らんね、というところまで来てしまったのです。どんなに言葉を尽くしても伝わらないし、相手を変えることも自分が変わることもできないし、何より、世間体や体面を気にする相手が想定する二人の未来が私にとっては暗く息苦しいものであり、男性に恐怖心がある私にとり、相手が私を詰る声色は到底耐えられるものではないと思ったのです。
2024年に始まった恋の炎は向こう二十年間消えることはないのではなかったか、占い師よ、と思わないではないのですが、致し方ないことなのです。まだどちらからも別れを切り出してはいないけれど、半分吹っ切れたような気持ちで働いていると、一緒に働いている人から「今日は元気だね」と言ってもらえたのです。買い物にきたおじさんがカウンターの上で小銭の入ったフィルムケースを振って「半か丁か」と冗談めかすのに「丁!」と付き合って、結果出てきた小銭に「どっちなんですかこれ」と突っ込んでは、「あなたのファンになりました」なんて言われて、しょうもないけどまあ気は紛れるな、なんて思ったりしたのです。要約私は元気です。
今日は、午前中は洗濯をして、ついったーを見ながらごろごろしていたのですが、午後三時近くにもぞもぞと動き出し、散歩がてら商業施設まで行って、そこに入っているミスタードーナツでバレンタインの限定ドーナツをdポイントを使って買いました。これは晩ごはんの後のおやつなのです。そのまま歩いてスターバックスへゆき、もらったスタバカードでバレンタイン限定の名前は忘れたおいしいやつを飲みました。その後生活雑貨を売っているお店をうろうろして、仕事の勉強のために色々な品の値段を見てまわりました。レミパンが売っていて心が動いたのですが、べらぼうに高いのでほほーと言って通り過ぎました。いい時間になったのでお寿司屋さんに入って、甘エビと寒鰤と赤貝とまぐろとつぶを食べました。さいきんは一人で回転寿司に行くことが楽しいのです。家へ帰って、古いアンプと新しいアンプを繋ぎかえました。このアンプは、以前私がバイト先でプリメインアンプの調子が悪いと漏らしていたのを社員の人が覚えてくれていて、先般仕入れた商品から私のために取り置いてくれていたものなのです。取り置いてくれた時期は、丁度好きな人と一緒に住む話が持ち上がっていて、オーディオは持って行くことを諦めていたので、アンプに関しては一時保留にしてもらっていたのですが、もう一緒に住むことはなくなったので、とても安くしてもらったこともあり、有り難く買わせてもらったのです。繋ぎ方が悪いせいか右のスピーカーから音が出ないトラブルもあったのですが、悪戦苦闘の末、やっとこさ両のスピーカーから音が出るようになって大満足なのです。好きな人と一緒に住むためにはオーディオもレコードも処分せねばならないと当然のように受け入れようとしていましたが、私はやっぱり音楽もレコードも大好きなのです。好きな人から気持ち悪いと言われたSexy Zone(現timelesz )の楽曲も、私は好きです。古いアンプは、CDの再生中にセレクターが勝手にかちかち切り替わってしまうという不具合があるのですが、レコードだけ聴くには申し分ないし、直せる人なら直せる不具合なので、どこかへ売るか譲るかしたいと思うのです。
久しぶりに日記を書くにあたって、前回前々回の日記を読み返し、私は自分の健気さにちょっと心を打たれました。生活雑貨店の商品の鏡に映る自分の姿を見て、心底かわいいと思いました。こんなに健気でかわいい人を大事にしてくれない人とは、さようならなのです。
日記45
二ヵ月ぶりの日記です。またまた随分ご無沙汰なのです。この二ヶ月間で、じいちゃんが死んだり、片道六時間かけて好きな人に会いに行ったり、仕事を辞めたい一心で新しく資格の勉強を始めたりしていて、なかなかに忙しい日々を送っていたのです。
従姉たちに要請されて、じいちゃんの棺に大きな富士山と、じいちゃんが愛飲していたサントリージョッキ生の絵を描いたのです。絵を、それも棺の横幅三分の一にも渡る大きな絵を描いたのは随分久しぶりのことだったのです。親戚一同から上手い上手いと褒められて、こんなに手放しに人から褒められることも久しぶりだなあ、と童心に帰った気持ちになったのです。
遠距離恋愛と相成った好きな人に、毎週手紙を書いているのです。生来自分に対して客観的な価値を見出せず、自分と関わることは他人にとって時間の無駄なのでは、という考えに陥りがちな私が積極的に人と関わろうとすることは、それ自体が強いストレスを伴うのです。それでも多少無理をして関りを持とうとしていくうちに、相手を通して今まで気づいていなかった自分の独特な思考の癖や性格を自覚できるようになったのは、面白い変化だったのです。
私は私の美徳や長所に自覚的で、慢心さえしているくせに、それらの美徳や長所が私以外の人たちにとっては何の価値もないというギャップに長年悩まされてきたのです。自分のことが大好きでこれでいいという気持ちと、今の自分は世間から見て何の価値もない人間であるという自己評価のジレンマに苛まれ、自分の好きな自分でいるために世間から見て無価値な人間でいるか、世間から見た価値を上げるために好きでもないような人間になるか、二者択一を迫られているようなプレッシャーを常に感じ続けていたのです。けれども、じいちゃんの棺に絵を描いたり、好きな人に手紙を書いたり、仕事でわけのわからないことをわけのわからないなりにやってみたりするうちに、私は別に全てにおいて人より秀でていなければならないわけではない、と思ったのです。私は、その場に自分よりも能力の高い人が一人いるだけで自分の価値をゼロに見積もってしまうようなところがあったけれど、私より絵の上手い人がその場にいたとしても、その人の絵で棺を全て埋め尽くさなくてはいけない道理はないのです。私は馬に跨った戦国武将の絵は描けないけれど、富士山とジョッキ生の絵なら描ける。それなら私は自分に描ける絵を描けばいいのです。自分にできることをできる範囲でやればいいのです。私より頭のいい人はいます。私より仕事のできる人はいます。私よりかわいい人はいます。私より人付き合いの上手い人はいます。だからと言ってすべてから手を引くことはないのです。こんな当たり前のことを、私は三十歳になるまでわかっていなかったのです。
私は思ったことが全て口に出て、好きな音楽がかかると人目も気にせず踊り出し、年齢や流行に左右されず自分の好きな格好をして、人のためにかける手間を惜しまず、意味がないことを意味がないとはっきり言ってしまう自分が好きで、私のそういう部分に少なからず助けられている稀有な人もいなくもないだろうと思ってこれからも生きていくのです。