片・すぐお腹痛くなる。

まだ生きていたのか?!

日記20

 藤野可織の『私は幽霊を見ない』という本を読んでいて、そういや私は猫の幽霊に触れたことがある、と思い出したのです。今の家に越す前後、私はよく早朝の金縛りにあっていたのです。金縛り、あれは実際になってみると、なぜ人々が霊現象と結び付けるのかがよくわかるのです。体験する前は、単に身体が動かないだけだろうと思っていたのですが、実際は動かないというか、自分の上に誰かが馬乗りになって、渾身の力で上から押さえつけてくる、という感じなのです。一度、布団を頭上に引き上げるような寝相で、両手を頭上に重ねてその上に布団をかぶって寝ているときに金縛りにあったのですが、頭上に重ねた両手首を誰かが布団の上からがっしり掴んで押さえつけてくるような感触がありました。金縛りを解くコツですが、とにかく何でもいいので声を出してみるのがいいのです。大きな声じゃなくてもいいです。出せる音量で「あーー」とか言いながら、身体が動きそうだなと思ったら「はっ!」と言って思いっきり起き上がろうとするといいです。もしくは、金縛りなんて無視してもう一回寝るのがいいのです。……猫の幽霊の話ですが、そんなふうに早朝に金縛りに遭っているとき、なにかツボ押し棒のような接触面積の小さなものが私の身体を押しながら移動しているのを布団越しに感じるのです。丁度、うちの飼い猫のにゃーちゃんが私の身体の上を踏みつけて歩いているような感触でした。しかし私は眠るときに自室のドアを閉めているのでにゃーちゃんが入れようもありません。でも確かに私の身体の上を猫が歩いているのです。明らかに普段の金縛りとは違う異様な現象なのですが、全く怖くはありませんでした。私は、ネルだ、と思いました。ネルは、伯母の家で飼われていて、私がその金縛りに遭う数日前に死んでしまった猫です。避妊手術の入院中にウイルスに感染したことが原因で、とても若くして死んだのです。ネルは誰にでも全力で甘える猫で、遊びに行くと私が帰るまでずっと抱っことなでなでを要求するたいへんな甘ったれ猫ちゃんでした。なんとなく私は、あの金縛りのときに、ネルが最後に遊びに来たのだと思っているのです。

 近況としましては、小説を数年ぶりに書いとります。何となく書きたいものがなくて何年も何も書けなかったのです。いつもいつも私は自分のことを書こうとしていて、自分と言う人間にとくに見つめるべき部分も引き出すべき面白い部分もないと気づいた時に、ぱたりと書くのをやめてしまったのです。代わりに曲を作ったりしましたがあまりいいものはできませんでした。でも作曲というのは面白いものです。何かを作ることが面白いと思えるのはいいことなのです。出来は良くないですが気に入った曲も作れました。どのメロディもどこかで聞いたことのあるような、よく言えば親しみやすい、有体に言えばオリジナリティのない曲です。でもまあいいのです。何かが作れるということが大事なのです。今度の小説は60年代後半が舞台です。毎日GSを聴いているうちに、この時代に生きていたらどんな感じだろうという好奇心が抑えられなくなってきたのです。主人公は私とは似ても似つかない人物にしました。私はこの子をとても応援していて、ちょっと主人公に肩入れしすぎる過保護な作者になりつつあるのを自制しなければいけないくらいなのです。60年代後半は、自分の親世代がやっと生まれたかどうかという時代なのです。私なんて影も形もないのです。小説の登場人物にコーラ一本飲ませるにも、自動販売機はあったのかとか、瓶なのか缶なのかとか、値段はいくらかとか、全部調べなければならないのが非常に面倒くさくも楽しい作業なのです。おかげでちっとも話が先に進まないのですが、どこに投稿するあても、誰に読ませるあてもなく、ただ自分の好きなものをゆっくり書いているのです。